生細胞や生体組織のはたらきを理解するためには、生きたままの状態を観察することが重要です。そのような観察をする際に、組織内の注目したい物質に対して、蛍光タンパク質などの観察に好都合な物質を結合させることがよく行われます。しかし、他の物質を結合させて標識した状態では、注目したい物質の性質が変わってしまい、本来のふるまいを観察できなくなるかもしれません。そこで、光物理化学研究室 (加納 英明 教授、平松 光太郎 准教授、桶谷 亮介 助教) では、レーザー光を使って、標識物質を使わないラベルフリーな観察手法を用いた研究を行っています。今回は、そのような方法の一つである非線形ラマン分光法で脂肪組織の観察を行っている化学専攻の吉村 美波さんにお話を伺いました。
物質に光が当たると何が起こるでしょうか?光が物質に入射すると、その一部は散乱されます。光はその振動数に応じたエネルギーをもっていて、散乱されるときの分子との相互作用によって、分子とエネルギーをやりとりする場合があります。散乱される光の一部[1] は、光から分子へエネルギーの受け渡しが起こり、入射した光よりも少しエネルギーが小さい光、すなわち、振動数が少し小さい光へ変化して出ていきます。これをストークスラマン散乱といいます (図1 左)。一方、分子が安定な状態よりも少し大きいエネルギーをもって振動していれば (振動励起状態)、反対に分子から光へエネルギーが受け渡される場合もあります。これはアンチストークスラマン散乱と呼びます (図1 右)。
散乱されるときにやり取りされるエネルギーの大きさは、分子がどんな構造をしていて、どんな振動を引き起こすかによって変化します。そのため、入射した光の振動数を基準とした散乱された光の振動数の変化を調べることで、試料に含まれる分子の構造を知ることができます。逆に、どんな分子か分かっていれば、散乱光の振動数の察しがつきます。すなわち、このラマン分光法を活用すれば、標識物質を使わずに、試料中にどんな分子が存在し、どのように分布しているかを観察することができるのです。しかし、通常のラマン散乱は微弱であるため、十分な測定には長い時間を要するなど、生きたままの状態での観察へ応用するためには課題がありました。
そこで、光物理化学研究室では、ある現象を利用してラマン散乱の弱点を克服する装置を開発し、研究を行っています。それは、コヒーレントアンチストークスラマン散乱 (CARS) と呼ばれるもので、入射させる光として振動数が異なる 2 種類のレーザー光を用います。2 つの光の振動数の差を、測定したい分子の振動数と一致させたとき、多数の分子がその分のエネルギーを受け取って振動するようになります (図2)。その状態で、分子はさらに入射するレーザー光と相互作用するため、高強度なアンチストークスラマン散乱を発生させることができます。光物理化学研究室で開発された装置では、2 つのレーザー光が上手く組み合わさり、顕微鏡を介して試料に照射されます。さらに、照射する位置を少しずつ変えていくことで、試料中の分子の分布を詳細に調べることが可能です[2]。
研究室で開発したこの実験装置は、たった 1 つ世界でここだけにしかないものなので、研究室のメンバーで共有するために、マシンタイムというものを設けており、実験前に事前に予約をしておくというルールがあります。そのため、毎日実験ができるというわけではありませんが、吉村さんは、実験をする日はいつもより気合いを入れて、試料の作成やラマン散乱の測定に臨むそうです。
吉村さんらは、筑波大学の福田 綾 准教授、久武 幸司 教授と共同で、褐色脂肪組織という生体組織に注目して研究を行っています。哺乳類がもつ脂肪組織には、主に白色脂肪組織と褐色脂肪組織の 2 種類があります。白色脂肪組織は、肥満の原因にもなる一般的な脂肪組織で、細胞内に脂肪を貯蔵し、必要なときにそれをエネルギーとして使います。一方、吉村さんが注目している褐色脂肪組織は、脂肪を分解して熱エネルギーとして放出するはたらきがあります。この褐色脂肪組織を活性化させることで、肥満の治療に役立つ可能性があり、現在盛んに研究が進められています。そのため、吉村さんは褐色脂肪組織の機能の仕組みを明らかにすべく、ラマン散乱の測定を行っています。そして、今回の研究により、白色脂肪組織と褐色脂肪組織では蓄積している脂質の不飽和度[3] の分布に違いがあることが分かってきました。
コヒーレント・ラマン顕微鏡を用いることで、白色脂肪組織と褐色脂肪組織に蓄積されている脂質の不飽和度の分布に違いがあることが明らかになってきました。ただし、その違いが褐色脂肪組織の特殊な機能とどう結びついているのかはまだ分かっていません。分かっていないことを一つずつ明らかにすることで、未知の生命現象の解明や、最終的には医療分野への応用へとつながっていくことが期待されます。
私は、知的好奇心に従ってとことん探求できることが、理学部で研究をする面白さだと思います。研究に熱中したい人、自分の興味を追求したい人は進路の選択肢としてぜひ理学部を考えてみてください!
Note:
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