「眠りとは何か」。私たちが毎晩経験する眠りの起源は、進化的にどこまで遡るのでしょうか。睡眠は、ヒトをはじめとする哺乳類に限らず、魚や昆虫などの幅広い動物種で観察されます。睡眠は記憶などの脳機能と関連していることから、「睡眠は脳を休息させるための現象である」という考えが一般的です。
東京大学大学院 医学系研究科 (研究当時 本学生物学科 4 年生) の金谷 啓之と九州大学 基幹教育院 伊藤 太一 助教らは、Ulsan National Institute of Science and Technology の Chunghun Lim 准教授らと共同で、進化的に脳を獲得していない動物ヒドラにも睡眠が存在すること、さらにはその制御因子が脳を持つ動物と共通していることを発見しました。これは、「睡眠メカニズムの形成が脳の獲得に先立つ」可能性を世界で初めて実験的に証明するものです。研究成果は、Science Advances に掲載されています。
私たち哺乳類の睡眠は大きく、ノンレム睡眠とレム睡眠[1]に区別されます。これらは、脳波や筋電図[2]を測定することによって判別することが可能です。哺乳類以外にも、爬虫類や魚類に睡眠が存在することが知られています。近年になって爬虫類や魚類の睡眠も、私たちと同様にノンレム睡眠やレム睡眠といった状態に区別できることが分かってきました。
行動学的な解析から、脳波を計測することは不可能な昆虫にも睡眠様状態が存在することが明らかにされています。今から 20 年前に、ショウジョウバエに睡眠が存在するという報告がありました。当時、睡眠の研究者らは半信半疑だったようですが、その後の研究により、ショウジョウバエの睡眠制御メカニズムが哺乳類とかなり共通していることが分かってきました。線虫にも睡眠様状態が存在し、そのメカニズムの共通性が示されています。さらに 2017 年には、刺胞動物であるクラゲの一種に、睡眠様状態が存在する可能性が指摘されました。クラゲは散在神経系と呼ばれる神経系を有しており、その神経システムに中枢と呼べるものがありません (図1)。「睡眠は脳があるため生じる」という定説が揺らいでいました。
2017 年当時、私は学部 2 年生であり「脳を持たない動物に睡眠が存在すれば面白い」、さらに「そのメカニズムを他の動物と比較したい」と考えていました。実は、クラゲに睡眠が存在する可能性を指摘した論文が出る以前から温めていたアイデアだったのですが、残念ながら先を越されてしまいました。当時、九州大学で研究室を主宰されていた小早川 義尚 先生 (現 名誉教授) は、ヒドラという動物を研究されていました。ヒドラは刺胞動物の仲間であり、体の大きさが 1cm 弱程度の小さな動物です (図2)。神経細胞は持っているものの、中枢神経システム (脳) を持たない動物であり、非常にシンプルな体のつくりをしています。再生能力が高いことで知られ、体を切断しても各々の断片が完全体に再生します。刺胞動物の多くは、クラゲをはじめとして海産であり、実験室に順化していません。実験材料として用いるには難しい動物ばかりです。その点、ヒドラは長年にわたり生物学の実験材料として用いられてきました。他の生物に比べて遺伝子操作が難しいために、徐々に生物学の表舞台から遠ざかっていましたが、今でも世界各地の研究室でヒドラの研究が行われています。脳を持たない動物で、体の作りもシンプル、さらには実験動物として確立されているということで、睡眠メカニズムを検証するのにピッタリであると考えました。
その当時、小早川先生は全く異なるテーマでヒドラの研究をされていたため、「ヒドラで睡眠を研究したい」と言う提案には驚かれたかもしれません。同じ実験室では、伊藤 太一 先生がショウジョウバエの行動 (主に体内時計のメカニズム) を研究されていました。一緒に議論させていただきながら、ヒドラで睡眠様状態の有無を検証し、その制御メカニズムを他の動物と比較していくという研究プランを立てました。
睡眠の一般的な特徴として、「可逆的な行動の静止」、「感覚機能の低下」、「睡眠恒常性」が挙げられます (図3)。「可逆的な行動の静止」は睡眠中に動かなくなるものの昏睡状態ではなく、刺激によって覚醒状態へ回復することを意味します。いくら深い眠りに落ちていても、叩き起こされれば目が覚めるということです。ただ、睡眠中には「感覚機能の低下」が見られ、穏やかな刺激で覚醒に転じることはありません。「睡眠恒常性」とは、動物にとって必要な睡眠量が決まっていることを意味します。必要量が予め決まっているために、断眠させるとその後にリバウンド睡眠が生じます。これは、夜更かしすると次の日の朝に起きられないことと同じです。私たちは、これら 3 つの特徴を持つ状態がヒドラに存在するのかを検証しました。
私たちはこれまでに、ヒドラの行動を自動で解析することができるシステムを構築していました (九大理学部ニュース過去記事 :「時計」を失った生物ヒドラの謎 (2019年9月20日)) 。このシステムを用いて解析したところ、行動が静止する状態が存在していました (図4)。そして、行動静止中に強い光パルスを与えることで、覚醒状態に回復することが分かりました。これが「可逆性」に相当します。一方、弱い光パルスを与えた場合では、特に20分以上行動が静止していたヒドラで反応が遅延するという興味深いことが分かりました。これは「感覚機能の低下」に相当すると考えられ、便宜的に 20 分以上の行動静止を睡眠と定義することにしました (図5)。
また、機械刺激 (ヒドラの培地に振動を与える) や温度パルス (ヒドラの培地を高温にする) を与えて睡眠を阻害したところ、その直後に睡眠が増加しました (図6)。リバウンド睡眠に相当すると考えられます。これらの結果から、ヒドラにも睡眠様状態が存在することが明らかになりました。
ヒトを含めた多くの動物において、睡眠は体内時計による制御を受けます。「睡眠」と「体内時計」の区別は少し複雑なのですが、シンプルに言うと、動物にとって必要な睡眠量が決まっており (睡眠恒常性)、体内時計が「いつ眠るか」のタイミングを制御しているのです。私たちの研究グループはこれまでに、ヒドラにおいて内在性の体内時計システムが観察できないことを確認していました (九大理学部ニュース過去記事)。睡眠に関しても体内時計による制御は観察されず、ヒドラの睡眠のタイミングは、単純に光の有り・無しによって決まっているようです (図7)。
睡眠は、生体内の様々な化学物質によって調節されています。例えば、哺乳類においてメラトニンと呼ばれるホルモンの分泌は睡眠を促進します。神経細胞間では、神経伝達物質と呼ばれる種々の化学物質が放出・受容されることで、私たちの脳機能が成り立っています。こうした神経伝達物質も、睡眠制御に関わっていると考えられています。そこで私たちは、ヒドラの培地に様々な化学物質を添加して、睡眠量の変化を調べました。その結果、ヒドラにおいてもメラトニンは睡眠を誘導する作用を持つことが分かりました。また、神経伝達物質であるGABA の投与によって、睡眠が促進されることが分かりました。同じく神経伝達物質であり他の動物種では覚醒作用を持つとされるドーパミンは、ヒドラでは睡眠を促進する効果があることが分かりました (図8)。
睡眠制御には遺伝子も関わっています。マウスやショウジョウバエ、線虫を用いた睡眠研究から、睡眠制御に関与する遺伝子 (睡眠遺伝子) が複数同定されてきました。今回、マイクロアレイと呼ばれる技術で、断眠させたヒドラの全ての遺伝子の発現量[3] (量の多い・少ない) を網羅的に解析したところ、212 個の遺伝子の発現量が断眠によって変化していました。そして驚くべきことに、この 212 個の遺伝子には、ショウジョウバエにおいて睡眠遺伝子として同定されていた Shaker (電位依存性カリウムチャネル) や、マウス・ショウジョウバエ・線虫において睡眠制御との関連が指摘されている PRKG1 (cGMP依存性プロテインキナーゼ)が含まれていました。PRKG1 の活性を変化させる薬剤を用いた実験により、PRKG1 は実際にヒドラの睡眠制御に関与している可能性が示されました。
自然科学の分野では、先人の力を借りることを比喩的に「巨人の肩の上に立つ」と言います。ヒドラの睡眠と遺伝子との関連性が明らかになってきたなかで、各遺伝子の作用、さらにはその作用の進化的保存性を直接的に証明できないだろうか、ということを議論しました。しかし、ヒドラは遺伝子操作が難しい動物であり、遺伝子の機能を阻害して検証することは容易ではありません。そこで、ショウジョウバエの睡眠の専門家である Ulsan National Institute of Science and Technology の Chunghun Lim 先生に協力をお願いし、断眠させたヒドラで発現が変化した遺伝子のショウジョウバエの 相同遺伝子 (オルソログ)[4]を探索し、それらを遺伝子操作が容易なショウジョウバエで機能阻害することを考えました。睡眠研究の下地もあるショウジョウバエという巨人の力を借りることにしました。
その結果、複数の遺伝子がショウジョウバエの睡眠長を変化させることが分かりました (図9)。ヒドラの断眠で影響を受ける遺伝子が、ショウジョウバエの睡眠制御に関与していることが明らかになったのです。睡眠長を変化させる遺伝子群には、オルニチンの代謝酵素であるオルニチンアミノ基転移酵素が含まれており、オルニチン代謝はヒドラの睡眠制御にも関与していることが明らかになりました。
睡眠メカニズムの進化的保存性が明らかになりましたが、「ヒドラはなぜ眠るのか」という大きな疑問が残されています。この問い対しては、依然として明確な答えを用意できていません。しかしながら、薬理学的あるいは機械的に睡眠を阻害したヒドラでは、細胞増殖が低下することを確認しています。ヒドラでも、体の維持・成長に睡眠が重要ではないかと考えているところです。「寝る子は育つ」という諺はヒドラにも言えることなのかもしれません。
今回の研究によって、脳を持たないヒドラにも睡眠が存在すること、さらにその分子メカニズムが脳を持つ動物と共通していることが明らかになりました。睡眠という現象、さらにはそれを調節するメカニズムは、動物が脳を獲得する以前から存在していたものと考えられます。睡眠は、脳の有無に関わらず、神経システム自体に宿る非常に基本的な現象なのかもしれません。
研究で大事なのは、理論的に現象を分析することですが、それと同時に「この謎を解き明かしたい」という研究者自身の気持ちが大事だと感じています。「絶対に諦めない」という心にこそ、神様が時折微笑んでくれるのかもしれません。もちろん、そうした気持ちが強すぎてはダメで、虚心坦懐にデータを見る必要がありますが、研究者自身が常にポジティブな思考を持っていないと、良い兆しを見落としてしまいます。近代細菌学の父パスツールは、「準備のできていない者に幸運は訪れない」と言ったそうですが、「幸運を逃さない心」も準備しておきたいと常に心がけて研究しています。
伊藤太一先生や小早川義尚先生の指導も受けながら、学部生の間に筆頭著者として3本の論文を発表しました。九州大学には、学生が自信を持って挑戦できるだけの素晴らしい環境が整っていますので、何か解き明かしたい謎がある学生は (それは何も研究でなくても良いと思うのですが)、果敢に挑戦してほしいと思っています。
Note:
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