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多角的な実験で原子核の謎に挑む(

核子–核子散乱で生じる量子もつれ

著者
松藤さん

 原子核nucleusをつくる陽子proton中性子neutronは、なぜ原子核という狭い空間にひしめき合っているのでしょうか?陽子と中性子のことをまとめて核子nucleonといいますが、これらは核力nuclear forceという強力な力[1] によって原子核の中に繋ぎ留められています。しかし、原子核や核力の性質について、その全貌はまだ明らかになっていません。身の回りにある全ての物質は、原子核と電子でできていることを考えると、原子核についてしっかりと理解しておくことは重要です。そこで、実験核物理研究室 (若狭 智嗣 教授、坂口 聡志 教授、寺西 高 准教授、市川 雄一 准教授、高峰 愛子 准教授、西畑 洸希 助教、庭瀬 暁隆 助教) では、原子核のスピンspin[2] や新しい超重元素superheavy element[3] 、不安定な原子核[4] など様々な対象に対し実験的手法を用いてアプローチすることで、多方面から原子核のしくみを追究しています。今回は、そんな実験核物理研究室に所属されている物理学専攻の松藤 陽菜さんに自身の研究についてお話を伺いました。

松藤 陽菜(⼤学院理学府 物理学専攻)
取材:中島 涼輔(大学院理学研究院)

充実した設備

 九州大学伊都キャンパスには、加速器・ビーム応用科学センター (Center for Accelerator and Beam Applied Science, CABAS) が設置されており、タンデム加速器 (図1) をはじめとして、原子核の様々な性質を調べることができる設備が整っています。このような装置を使って実験を行っている学生は、理学部のある建物だけでなく、こちらのセンターへもよく行っているそうです。

図1
図1タンデム加速器

量子コンピュータへの応用?

 松藤さんは、大学院修士課程から九州大学に進学しました。学部生の頃は異なる分野の研究室に所属していたこともあって、現在は実験核物理研究室の他の大学院生とは少し違うテーマの研究を進めています。まず、2 つの核子が衝突して、元の進行方向から曲げられてしまうような状況を考えます。このような現象を散乱scattering (核子–核子散乱nucleon-nucleon scattering) といいます。核子も原子核や電子と同様にスピンをもっていますが、今回はこの核子–核子散乱が起こったときのスピンに注目してみましょう。量子力学に特有な性質の一つとして量子もつれquantum entanglement[5] という状態が知られていますが、核子–核子散乱によって、2 つの核子のスピンが量子もつれ状態になるのか?という疑問は、原子核物理学と量子情報科学の橋渡しとなる問題として注目されています。従来の研究では、核子–核子散乱により生じる量子もつれの程度を決定するためには、2 つの核子のスピンを測定する必要があるとされていました。しかし、最近の研究 (Bai, 2024) で、一方の核子のスピンのみを測定するだけで量子もつれの程度が分かる、新しい手法が提案されました。松藤さんは、実際の実験データを解析することで、この新しい方法の検証を行っているそうです。

図2

 核子–核子散乱で量子もつれが生じること自体が理学的に面白いテーマですが、この研究がさらに発展すると、量子コンピュータへの応用が可能かもしれません。量子コンピュータでは、量子ビットqubit[6] の量子もつれの状態を維持することが計算性能の向上に重要です。一方で、原子核という高密度中での核子–核子散乱を通じて量子もつれ状態を詳しく測定したり、新しい指標を得たりすることで、量子もつれの破れや損失についての理解が深まる可能性があります。また、典型的な複雑な量子系である原子核は、量子コンピュータの適用対象としても期待されています。


    著者量子もつれの程度を決定する新しい手法の検証は完全にはできていないので、計算や解析を進めて明らかにすることが今後の課題です。他にも、3 つの核子間にはたらく三体核力にも興味があるので、そのテーマも実験的に研究してみたいと思っています。

    著者元々スピンに興味があり、研究室の説明会で『原子核の構造を、スピンを駆使した実験で調べる』という話を聞いて面白そうだと思ったのでこの研究室を選びました。

大学院から研究分野を変えて

 松藤さんは学部生の頃は、ハドロンhadron[7] の理論やクォーク模型の研究をしている理論系の研究室に所属していました。修士課程から実験系の研究室へと分野を大きく変えたため、知らない分野の論文を批判的な視点をもちつつ読み進めるのはとても大変だったそうです。それに加えて、これまでデータ解析やプログラミングをしたことがなかったので、それらを習得するのはとても苦労したと松藤さんは話します。しかし、できなかったことができるようになったことや、研究室の先生と議論しながら手探りで研究を進めていって、誰も知らないことを解明するのはとても楽しく、やりがいを感じたそうです。


    著者高校の物理で身の周りの現象が数式で表されることに面白さ感じ、もっと多くの現象を理解したいと思ったことが物理学科を選んだきっかけです。

研究こぼれ話


著者他大学から進学してきて、研究分野も全然違う分野へ進んだため、最初はついていけるかとても不安でした。でも、自分の努力次第でなんとかなる部分も多いということを実感しています。

Note:

  • [1] 陽子はプラスの電荷をもっているため、2 つの陽子が十分離れているときは電気的な力により互いに反発します。一方、ある程度近づいていると、電気的な力よりも強力な核力が引き合う方向にはたらくため、陽子同士でも結合できるようになります。核子は 3 つのクォークquarkから構成されていますが、そのクォークたちは自然界に存在する四つの力のうちの一つである強い力strong forceによって結合しています。このクォーク間の力が、核子同士にはたらく核力の源になっています。
  • [2] 原子核や電子などの量子力学に従うミクロな粒子に特有な物理量の一つ。スピンの向きは磁石の性質と密接な関係があります。
  • [3] 原子番号 104 番以降の元素のこと。原子番号 92 番のウランより後の元素は基本的には天然に存在せず、人工的に合成する必要があります。ニホニウム (原子番号 113 番) は超重元素の一つです。
  • [4] 天然で安定に存在している原子と比べて、陽子や中性子の数が過剰な原子核は、不安定で短い時間しか存在できません。このような原子核は、不安定核やエキゾチック核と呼ばれ、元素合成を伴う天体現象などで生じている可能性があります。
  • [5] 量子力学では、粒子のもつ物理量は観測されてはじめて値が確定するという特異な性質があります。ここで、2 つの粒子 A と B があって、適切に相互作用をさせた後に、粒子 A だけを観測したとします。すると、それと同時に、観測していない粒子 B の物理量の値も、粒子 A の観測結果と強く相関した状態で確定してしまいます。このような性質を量子もつれといいます。
  • [6] 古典コンピュータが扱う情報の最小単位の「ビット」に対応した言葉で、量子コンピュータが扱う量子情報の最小単位のことです。
  • [7] 複数のクォークが強い力で結合した粒子の総称。陽子や中性子もハドロンの一種です。

より詳しく知りたい方は・・・

タイトル
Toward experimental determination of spin entanglement of nucleon pairs
著者
Dong Bai
掲載誌
Physical Review C 109, 034001 (2024)
受賞情報
SNP-CNS SS 2024「ANPhA 2nd (Silver)」および「SNP CNS Summer School Incentive Prize」
研究室HP
実験核物理研究室

      
九州大学 加速器・ビーム応用科学センター
キーワード
原子核、スピン、量子もつれ、量子コンピュータ