日本酒を長期保存すると「老香 (ひねか) 」とよばれる不快な香りが現れることがあります。老香を除くためには、その原因物質である 1,3-ジメチルトリスルファン (DMTS) を除去することが有効です。従来の方法では、活性炭による吸着が伝統的におこなわれてきましたが、良い香りの成分も同時に失われるという問題がありました。そこで触媒有機化学研究室の村山准教授らは、触媒化学という全く新しい切り口から DMTS のみを選択的に吸着するシリカ担持金ナノ粒子 (Au/SiO2) を開発し、その有効性を実証しました。老香が強い日本酒へ Au/SiO2 を混ぜ入れたところ、たった数日で DMTS だけをほぼ 100% 除去できることが分かり、また官能試験によっても老香の抑制が確認されました。さらに Langmuir plot や密度汎関数法による理論的な分析をおこなうことで、選択的な吸着のメカニズムを解明しました。研究成果は Scientific Reports に掲載されました。
日本酒とは、米・米麹・水を混ぜてアルコール発酵させたものです。日本酒は料理のお供としてはもちろんのこと、お祝いの席を彩ったり、神事に珍重されたりと、私たちの生活に華をそえています (図1)。本稿では、そんな身近にある日本酒の「化学」をご紹介いたします。
日本酒の大きな魅力の一つは、その豊かな香りにあります。日本酒の香りは貯蔵しているあいだに刻一刻と変化します:
老香の発生は、日本酒特有のフレッシュな香りを台無しにします。厄介なことに、私たちは老香に対して鋭い嗅覚をもっているため、老香の原因物質 DMTS がわずかでも存在すると吟醸香が覆い隠されてしまいます。さらに困ったことに、日本酒が室温よりやや高い温度で酸素に触れることで DMTS が発生するため、加熱殺菌でコントロールできるアルコール発酵とは違って、DMTS の発生を人為的に止めることは困難です。特に日本酒を海外へと輸出するときには赤道を通過するなど高温で長い間保存されることが多く、老香の発生は深刻な問題となっています。このような課題の解決に向けて、さまざまな研究や企業努力がなされていますが、吟醸香を損なうことなく DMTS を抑制する方法はいまだ確立されていません。
DMTS を抑える方法は、大きく分けて 2 通りあります。1 つ目は、DMTS が生成されにくいような環境を整える方法です。たとえば、DMTS の元となる硫黄化合物が少なくなるような米や酵母を厳選したり、低温貯蔵によって酸化を遅らせたりするなどの工夫が提案されています。しかしながら、こういった工夫には多大なコストと手間がかかるため、日本酒の品質や生産量を安定させながら DMTS をコントロールすることは非常に難しいといえます。
もう一つの方法は、DMTS そのものを取り除く方法です。伝統的には、活性炭による吸着が利用されてきました。こちらの方法では、日本酒をろ過するだけで老香を抑えることができます。しかしながら、活性炭を使うと吟醸香の成分である EH までも除去されてしまい、香りのうすい日本酒になるという難点があります。そのため、酒造会社や蔵元のあいだでは、日本酒の質を保ちながら老香を除去することは難しいという認識が広まっていました。このような現状に対して、村山准教授らは「触媒化学」という先端科学からのアプローチによって DMTS のみに反応する吸着剤を開発し、日本酒の新たな可能性を切り拓きました。
DMTS だけを吸着する夢のような吸着剤は、いかにして実現できるのでしょうか ? 村山准教授らは、香り成分の中で DMTS のみが硫黄 (S) 原子を含む点に着目しました (図2, 右図)。S 原子は金属原子と結合しやすいことが知られているため、金属ナノ粒子を担持させた吸着剤をうまく選べば DMTS だけを除去できると予想しました。そこで「金属ナノ粒子」と「担体」のいろいろな組について吸着剤をつくり、DMTS に対する吸着性を調べました。DMTS を混ぜたアルコールによる性能テストと食品についての法律を鑑みた結果として、今回の研究では金ナノ粒子 (Au) をシリカ (SiO2) に担持した Au/SiO2 を吸着剤として採用しました。
実験の手順を 図3 に示します。吸着剤を日本酒に加えて室温におきます。1 日経過した後にろ過して、ガスクロマトグラフィー (GC) [1] という分析手法によって DMTS や EH の濃度を測定します。これをくり返して吸着率の時間経過をみることで吸着剤の性能を評価します。
Au ナノ粒子は担体 SiO2 上でクラスター化[2]しています (図3, 青色部分参照)。クラスターの表面に出ている Au 原子が吸着に関与すると考えられるため、クラスターの大きさ (粒子径) は吸着現象に本質的です。そこで、クラスターの粒子径が異なる Au/SiO2 吸着剤を用意して、粒子径の違いが DMTS の吸着効率に反映されるのかを調べました。
人の嗅覚による試験 (官能試験) もおこないました (図4)。吟醸香や老香に点数をつけることで、DMTS を除去した効果が感覚的な変化として現れるのかを検証しました。
まずは機器分析によって吸着剤の性能をテストしました。DMTS の吸着量と吸着効率を 図5 に示します。図のシンボル (■, △, ▲) は、Au ナノクラスターの粒子径を意味しています。たとえば粒子径が 2.4 nm の結果をみると、数時間で DMTS の吸着が進んでおり、たった 3 日でほとんど全ての DMTS を除去するという驚異的な結果を示しています。一方、粒子径が 7.1 nm の場合には平衡時の効率が 80% ほどに落ちており、30.1 nm の場合にはほとんど吸着しないことが分かります。したがって、DMTS の完全な吸着には5 nm 以下程度の小さなクラスター[3]が実用的であると結論付けられます。
次に、吟醸香の成分 EH が失われていないかを確認しました。活性炭との比較実験をおこなったところ、活性炭では 21% の EH を吸着したのに対して、Au/SiO2 では全く吸着が起こらず、Au/SiO2 は DMTS のみを選択的に除去することが実証されました。
官能試験によって感覚的な違いが現れるのかも調べました (図6)。老香を除く前の日本酒 (control) では、老香が 2.17 点と強く香っているのに対して、Au/SiO2 で処理したあとの日本酒では 0.83 点へと減っていました。つまり、人の嗅覚においても老香が抑制されていることが明らかとなりました。一方、吟醸香では 0.83 点となり、control や活性炭の結果 (0.67点) とは有意な差が見られませんでした。当初期待していた「老香が減ると吟醸香が引き立つ」という予想については、残念ながらハッキリした結論は得られませんでした。吟醸香がうすい日本酒を実験に使ったため、違いが目立たなかったと考えられます。
以上のような実験で Au/SiO2 の有効性を示すことができましたが、その背後にはどのような吸着メカニズムが潜んでいるのでしょうか。
まずは吸着等温線を描くことで、吸着のタイプを特定しました。吸着等温線とは、温度一定のもとに「吸着された物質の量 x」と「吸着されずに残った物質の数密度 C」の関係を描いたものです。吸着等温線は吸着タイプの違いによって概形が変わるので、グラフを見るだけで吸着様式を捉えることができます。実際に DMTS の初期濃度を変えて吸着等温線 (図7 (a)) を描いてみたところ、数密度 C が大きくなるにつれて吸着量 x が飽和していました。このような振る舞いは1 層でのラングミュア型吸着によく似ています。Langmuir 型吸着ではサイトへの吸着とサイトからの脱着とが競合しており、x が C の分数関数となります (図7 (b))。定数 a は飽和吸着量で定数 K は吸着を特徴づける定数です。
x について逆数をとってみると、
x−1 = (1 + KC) / (aKC) = (aK)−1C−1 + a−1
となります。そのため、 DMTS の吸着が Langmuir 型ならば x−1 が C−1 の 1 次関数になるはずです。実験結果 (図7 (a), 内側の図) を実際に見てみるとデータが一直線上に並んでおり、まさに Langmuir 型吸着に分類されることが分かります。
Langmuir 型吸着における「サイト」とは、クラスター表面の Au 粒子に対応すると考えられます。そこで、何 % の Au 粒子が DMTS に吸着しているのかを実験結果から計算し、Langmuir の関係式から理論的に予想されるものと比較しました (図8 (a))。Au 粒子と S 粒子が一対一で吸着すると仮定したところ、DMTS の初期濃度がどのような値をとっても計算値と実験値が非常によく一致していました (図8 (a), 赤枠部分)。したがって、Au 粒子一つ一つがサイトとなって、DMTS に含まれる 3 個の S 原子それぞれを吸着すると予想できます (図8 (b))。
この予想が正しいものであるか、またどのようなプロセスで吸着されるのかを明らかにするためには、密度汎関数法によるモデル計算が必要となります。そこで Au ナノクラスターが 24 個の Au 原子で構成されていると仮定して (これを Au24 と呼びます)、DMTS が Au24 に吸着する際のエネルギーを計算したところ、一対一の Au-S 結合によって安定な終状態へと移行することが確証されました (図9)。
残りの謎である「EH よりも DMTS が優先的に吸着される理由」はどのように説明できるのでしょうか ? 実は吸着エネルギーをみると DMTS と EH で差異がなく、吸着のしやすさに違いはありません。重要なのは吸着後の過程です。Au24 に吸着された DMTS では、S-S 結合が解離した中間体が生まれます (図9, 赤丸)。この中間体は EH を吸着した Au24 よりはるかに安定なので、EH が脱着するよりも長く Au24 にとどまってクラスター表面を埋めてしまいます。 したがって Au/SiO2 には DMTS のみが選択的に吸着されると考えられます。
貯蔵によって劣化臭 (老香) が発生した日本酒から、その原因である DMTS を選択的に除去するために、シリカに担持された Au ナノ粒子上への DMTS 吸着特性を調べました。
EH と DMTS の混合溶液から DMTS のみを除くことができ、より小さい粒子径の Au ナノ粒子でより高い吸着特性が得られました。Langmuir plot と 密度汎関数法に基づく計算による検討から、Au ナノ粒子に DMTS は単層吸着しており、表面の Au 1 原子につき 1 つの S 原子が吸着していること、DMTS と EH の吸着エネルギーはほぼ同じでも、DMTS の S–S 結合が解離したのちに安定な中間体が形成されるために、DMTS が選択的に吸着されることが明らかとなりました。
実際の日本酒を用いた機器分析でも、DMTS 濃度が選択的に減少するという結果が得られました。しかし、官能試験では老香の低下は感じられたものの、活性炭と比較して吟醸香が強く感じられるという有意な差は残念ながら得られませんでした。これは、今回用いた日本酒の吟醸香が元々薄かったためと考えられます。Au/SiO2 吸着剤は、エステル濃度が高く吟醸香が強い日本酒に使用するのが、より効果的と期待されます。実際、日本醸造協会誌に印刷中の続報では、吟醸香も老香も高い日本酒を用いて、活性炭に対して明確な差を出せた実験について報告しています (日本醸造協会誌についてはこちら)。
今後は日本酒だけでなく、硫黄化合物の含有量が多い焼酎などにも Au/SiO2 吸着剤を使用し、飲みやすくフルーティーなお酒の提供に役立てたいと考えています。そのために、ろ過容器の設計や試作も始めています。
Au ナノ粒子によって DMTS が除かれて、日本酒の劣化臭がなくなるという研究のコンセプトを考えてから、シリカへの粒子径の小さい Au ナノ粒子の担持方法、吸着メカニズムの解明、DMTS 吸着が EH 吸着よりも優位に進行する理論的裏づけなど、何年もかかって、ひとつひとつデータを積み重ねてきました。
今回発表した官能試験結果では、活性炭との優位性を示せませんでしたが、その後もあきらめずに試験をして、酒造会社さんからも効果を認めてもらうことができました。
九大グループの実験では、実際にお酒を飲むことはありませんが、いつか Au/SiO2 吸着剤でおいしくなったお酒がテーブルにあがるときを楽しみに研究を発展させていきたいです。
Note:
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