あらかじめ花粉を摂取することで花粉症発症を予防しようという「アレルゲン免疫療法」が実用化されつつあります。しかし患者さんによっては、長期間治療を続けても効果が出なかったり、治療そのものによってアレルギーを発症してしまったりします。この療法がどのような体質・状態の患者さんに有効なのかを明らかにするため、数理生物学研究室の原さんと巌佐教授は、体内に入ったアレルギー原因物質と免疫機構が引き起こす生命現象を数式によって表現した数理モデルをつくりました。モデルを用いたシミュレーションによって、治療成功に必要な条件(Treg細胞が蓄積しやすい体質であること等)や、治療そのものによるアレルギー発症を防ぐ方法(花粉投与量を徐々に増やしていくこと)を明らかにしました。研究成果はJournal of Theoretical Biologyに掲載されました。
私たちの体には免疫機構というしくみがあり、侵入してきた有害な細菌や寄生虫の感染から体を守ってくれます。ところが免疫機構は無害なものに対して誤作動することもあります。例えば、花粉は本来人体にとって無害ですが、免疫機構が過剰に反応してしまい、その結果鼻水や目のかゆみなどの辛い症状を引き起こしてしまうことがあります。これが花粉に対するアレルギーであり、花粉症と呼ばれています。
近年「アレルゲン免疫療法」と呼ばれる、花粉を摂取して花粉症を抑えるという驚くべき治療法が実用化されつつあります。症状が出る前にあらかじめ花粉を摂取することで発症を予防しようというこの治療法は、症状が出るたびに薬を投与して対処する従来の方法とは発想が大きく異なるものです。
アレルゲン免疫療法の問題点は、患者さんの体質や状態によっては治療がうまくいかない場合もあるのに、それがわからないまま数年にわたって花粉の摂取を続けなければならないことです。患者さんの経済的・時間的コストは小さくありません。さらにまずいことに、アレルギーの原因物質を投与する治療法であるため、患者さんによっては治療そのものでアレルギーを発症してしまう可能性もあります。もしも患者さんの体質・状態を検査してこの治療に適しているかどうか事前に知ることができれば、効果の期待できる人だけに治療をすすめられるようになります。そこで原さんたちは、数理モデル[1]を用いたシミュレーション[2]により治療の成功に重要な条件を調べることにしました。
今回つくったアレルゲン免疫療法の数理モデルを図1に示します。重要な役割をもつのは2種類の細胞、アレルギーを引き起こすヘルパー2型T細胞(Th2)と、アレルギーを抑える制御性T細胞(Treg)です。数理モデルはこれらが未分化T細胞(まだ何の役割ももたない細胞)から分化する(特定の役割をもつようになる)様子を表現しています。本来Th2は寄生虫などの感染から体を守ってくれる細胞ですが、過剰に増えることによって前述のような望ましくない免疫反応、つまりアレルギーを引き起こします。一方TregはTh2による過剰な免疫反応を抑制し、アレルギーを抑えます。
患者さんは少量の花粉を続けて摂取する治療期間を経たのち、大量の花粉にさらされる花粉飛散期を経験するとします。治療期間に花粉を摂取するたびに少量ずつのTh2とTregがつくられます。治療がうまくいく人の場合、このときTh2は自然に減少する一方でTregは体内に蓄積すると考えられます。いざ大量の花粉にさらされたとき、それまでにTregが蓄積していなければ、一挙に大量のTh2がつくられアレルギーを引き起こしてしまいます。一方Tregが蓄積していれば、アレルギーを抑えてくれると考えられます。
数理モデルに含まれるいくつかのパラメータ(図1のdrやmなど)は、細胞の自然減少率やTh2に分化する割合など、それぞれの患者さんの体質・状態に対応します。これらのパラメータにいろいろな値を代入することでいろいろな体質・状態の患者さんを表現できます。このようにしてつくったたくさん(59,049人!)の「患者さん」それぞれについてシミュレーションを行うと、治療成功する場合(図2a)のほかにも、治療自体によってアレルギーを引き起こす場合(図2b)、治療を受けなくても花粉症にならない場合(図2c)や、治療しても症状が治まらない場合(図2d)が見られました。これは患者さんの体質・状態によって、治療結果が異なることに対応しています。
今回の研究の目的は、治療成功する患者さんの体質・状態はどのようなものかを調べることでした。治療成功の指標として、
の3点に着目した治療スコアを設定し、このスコアが高くなるようなパラメータの値を調べました。治療スコア上位10%の「患者さん」がどのような体質・状態をもっていたか、それぞれのパラメータの値ごとに分類し、大中小の値のうちどの場合が最も多く含まれているかをグラフにしました(図3)。このようにして、治療に適した患者さんの体質・状態を大まかに捉えることができました。具体的には、Tregが蓄積しやすく(パラメータdrの値が小さい)、ひとつひとつのTreg細胞がもつアレルギー抑制効果が大きい(mの値が大きい)ことなどが治療成功につながりやすいとわかりました。
他にも、治療スケジュールの変化が治療結果にどう影響するかを調べました。治療期間は、徐々に花粉投与量を増やす導入期と、一定の投与量を保つ維持期に分けられます。これらの長さをいろいろ変えて (図4a)、シミュレーションを行いました。その結果、治療自体によってアレルギーを引き起こすことを防ぐためには、導入期を長く取るのがよいと確かめられました(図4b)。
免疫機構は多くの細胞や物質が、互いに複雑に関わり合って機能しています。そのためまだわかっていないことが多く残っています。原さんは「数理モデル[1]による解析は、複雑な免疫系に対して複数の要素の中でどれが重要なのかを見抜き、全体の構造の骨組みを理解するための武器になりうると考えます。これからも仕組みが明らかでない免疫機能の異常について、数理モデルを使って解き明かすことを目標にしています」と語ります。
九大理学部では、九州大学「世界に羽ばたく未来創成科学者育成プロジェクト(FC-SP)」事業のうち「知的探求型プログラム(ESSP)」という高校生のための科学体験プロジェクトを実施しています。原さんはESSPの数学部門の卒業生で、また現在は生物部門のティーチングアシスタントとして高校生の参加者と先生とをつなぐお手伝いをしています。2017年度のエントリーは終了しましたが、10月、11月に予定している公開講演会にはどなたでも参加することができます。
高校生にとって、大学の先生に直接教えていただきながら研究を体験できるめったにない機会だと思います。科学に興味のある高校生のみなさん、気軽に参加してみてください。
Note:
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