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令和元年度 奨学金受給者報告書

氏名 Bさん
学科・専攻、学年 物理学科 1年
留学先(国名) オレゴン州立大学(アメリカ合衆国)
留学期間 令和2年2月20日~令和2年3月19日

留学内容について

 時系列の順番に留学前、最中、振り返って、と述べていく。固有名詞は英語のまま書くがご了承願う。

 留学前、英会話筋トレで江端先生がOSSEPの宣伝をされていたのが、このプログラムを知ったきっかけだった。「大学院に進学するなら、海外に行きたいなぁ」と漠然とは考えているものの、自分の英語が海外でどの程度通用するのか、海外生活は一体どのようなものなのか、そういった疑問を持っていた自分にとって、春休み中の一ヶ月間海外での生活を体験できるこのプログラムは大変魅力的なものだった。特に、アメリカの大学での勉学はどのようなものなのか、興味をそそられた。留学にあたって英語力を養うべく、理学部が主催している英会話筋トレに毎週欠かさず通った。イディオムや発音など、英語のリスニングやスピーキングの練習になった。友人を誘ったり、肩肘張らずに気軽に参加すると長続きすると思う。余裕のある人はSALCにも行くと良いだろう。他には、夏休みに留学生サポーターとして新たに九大に入学する新入生の手伝いをしたが、これも良い経験になった。留学に行くと毎日知らない人と出会うので、その練習になった。

 次に、実際に留学に行くと、想像を超えた世界が広がっていた。まず空港での職員の方の話す速さが速くてなかなか聞き取れない。入国審査の待ち時間では「許可されないんじゃないか」と非常に緊張した。ハードな1ヶ月になるんじゃないか、治安とかは大丈夫なのかといった不安を感じながらも、飛行機を乗り換え、バスを乗り継ぎ、実際にCorvallisという街にあるOregon State University(OSU)に到着すると拍子抜けするくらい、大学の人々は暖かく迎えてくれた。大学の学生や職員はみなとても親切だった。食堂でよくわからず彷徨っていると教えてくれたり、失礼な態度を取ってしまっても鷹揚にたしなめたり。たしかに、物を忘れたら取られるという点では日本と比較して治安が悪いといえるかもしれないが、人々のフレンドリーさ、親しみやすさは日本以上だった。留学の最中で一番楽しかったのは、人々との何気ない日常会話だった。もちろん英語なのでこちらがうまくしゃべれないこともあるのだが、ノリが良いので盛り上がって楽しかった。また、慣れてくると多少は返せるようになって、英語を学ぶ以上に人との接し方について多くを知る機会になった。

 思い出語りはこれくらいにして、留学のプログラムとしては何をしたかを説明したい。日曜と月曜で区切って5週間で説明していく。理学部のOSSEPプログラム紹介記事にスケジュールが掲載されているので、気になる方はそちらを参照してください。到着した木曜日から日曜日までの最初の週は、Welcome Partyと住むことになる町のツアーがあり、時差ボケを治しながら生活環境に適応していった。次の月曜からは、午前中に英語の授業が月水金8:00-12:00、火木8:00-11:00があり、5週間目火曜日の最終日まで、平日は毎日行われた。午後は、2週間目、3週間目は、Science Class Observationという、それぞれが事前の申し込んだ理系の授業に参加した。4週間目は、研究室訪問のようなツアーだったものの、途中からコロナウイルスのためほとんどキャンセルになってしまった。英語の授業もPCで遠隔授業となった。5週間目の水曜日の朝早くに大学を発って帰国の途についた。それぞれの授業について詳しく述べていく。英語の授業は寮から少し離れたIntoと呼ばれる建物の5階で、今回このプログラムに参加した九大生を2つのクラスに分けて行われた。Listening & Speaking, English Through Culture, English Through Scienceの3つの授業がありL&Sを毎日、火木にCulture、月水金にScienceの授業を受けた。L&Sの授業ではIdiomについて勉強したり、自己紹介の短いスピーチや動画を見て先生の用意した質問に答えたりした。また、現地の学生がときたま授業に参加して議論に加わったりした。Cultureの授業では、アメリカと日本の文化や政治機構の違いについて、動画を見たり隣の人と話し合ったりした。課題の一つで面白かったのが、日本とアメリカの違いについて原稿を用意せずに英語で話し、それを録画して提出するというもので、とても印象に残った。Scienceの授業は英語の読み物を読んで、要約を書いたり、課題の図形を口頭で英語で伝える、というようなことをした。また、ストローとテープで橋を作り、それについて英語でレポートを書く、という活動が個人的に一番たのしかった。午後のScience Class Observationの授業は、一般のOSUの生徒が受けている授業に一緒に座って、講義を傍聴するというものだった。受けることのできる授業は決まっているようで、OSUが農業系の大学であることもあり生物の授業が多かったが、その中からどれを選ぶか自分で決めることができる。自分は時間の重複しないように注意しながら、できるだけ多くの授業を受けた。意外と時間には余裕があったので、来年行く人には目一杯取ることをおすすめする。注意してもらいたいのが、アメリカでは高校で物理をやらないらしく、大学1、2年生での物理の授業は高校範囲と大学範囲を一緒くたにしてやっているので、既習範囲と被る。知らない授業を受けたいときは、3、4年生の授業を受けると良い。ここでは○年生と述べたが、アメリカの大学では特に年次はなく、単位数が必要規定に達した時点で卒業要件を満たすらしいので、この数字は授業番号の最初の桁、難易度の目安と思ってくれると良い。経済学の授業もあり、最初は教授の英語が訛っていたため面食らったが、基礎的な内容でどうにかついていくことが出来た。Marine Biologyの授業が個人的に一番面白かった。内容は全くMarineではなかったが、どうして生物にオス・メスが発生するのか、科学的に考察していき、実験事実を交えて語られるのがとても興味深かった。

 授業以外の活動として、一番楽しかったのが、Special Program Assistant(SPA)やConversation Partnerとの絡みだった。SPAとは、在学している上級生を雇って留学プログラムに参加している九大生の面倒を見させているらしいのだが、現地の大学生の生の声が聞くことができた。最近全然授業に来てないのにAをもらっている生徒が居るとか、受けている授業のカリキュラムがクソだといった内容から、大学の授業料がどれくらいだとか、どういうバイトをして金を稼いでるか、といった実際に住む際に気になる話まで、色々と話を聞けた。また、Conversation Partner(CP)とは、英語で話し相手になってくれるボランティアで、九大生2、3人とCP1人といった割り振りをされた。週に2回ほど、1時間くらい会った。主に昼飯を一緒に食べながら世間話に花を咲かせたのだが、最後の方は買ってきたボードゲームで一緒に遊んだりした。自分はハイキングが好きだと話したら、近くにあるいいハイキングの場所などを教えてくれ、実際に留学中に二度ほど登りに行ったりもした。

 最後に、留学を終えて、これからどうしていくか、留学中にもっとできたこと、を述べたい。まず、最初の動機通り、院は海外へ進学するという決意を改めてした。アメリカの大学の学費は高いが、その分設備投資などもずば抜けていると感じた。アメリカに限らないが、興味のある研究分野へ飛び込んでいけるよう、勉学に一層励む良いきっかけとなった。次に、大学のツアーのなかで広報室のようなところを見学したのだが、そこでは自主制作で新聞、ラジオ、テレビ番組を作っており、大学生が自分たちの手でマスメディアを担っているという点に感銘を受けた。プロのスタッフがおり、制作を手伝っているそうだが、自分もなにか大学でそういった活動がしたい、と考え九大に学生新聞がないか調べたものの、そういった学生主体の広報組織がないことを知り、立ち上げる決心をした。「九皐鳴鶴(きゅうこうのめいかく)」という名前で学生新聞を始めるべく、活動しているがコロナウイルスの影響もあり取材には至っていない。しかし、いつかは九大生に広く知られるべく、頑張っていきたい。留学中にもっとできたな、と思うことは寮から出ること。慣れない環境で生活しているためか、眠いことが多く、寮の部屋でぐーたらしていた気がするので、もっと積極的に色んな所に行けたら良かったと、若干の後悔がある。しかし、全体を通して非常に充実した留学だった。書ききれなかったいろんな出来事や、出会いなど、一ヶ月だけとは思えないほど膨大にあるが、ひとまずここで筆を置くとする。

Conversation Partnerと
Conversation Partnerと

他国の人たちとの交流を通じてどのような変化がありましたか?

 まず、コミュニケーションについて、深く考えるきっかけになった。アメリカは移民の国なので、文化的な背景が全く異なる人々がひしめき合って暮らしているが、その分互いに尊重しあい、わかりやすいコミュニケーションを取るという文化が育まれている。逆に言うと、言わないと伝わらない文化である。日本では、気を使って婉曲的な表現で伝えるが、アメリカだとズバッと簡潔にいう。自分はアメリカ流のほうが気を使わないから楽だし、相手が何を考えているのか勘ぐらなくて済むので気楽で好きになった。

 次に、自分の個性を大事にしよう、と考えられるようになった。日本では相手に合わせることが大事なので、唐突に場違いなことをいうと、空気を読めない変なやつ扱いされるが、アメリカでは個性や個人を大事にする文化で、各人がのびのびとしているのが印象的だった。

ハイキングにて
ハイキングにて

留学によって変化が見られた事項について

 1ヶ月の短期間ではやはり語学力に大きな伸びは出にくいとは思うが、留学に向けて一年間英語を学ぶという目標があったおかげで英会話筋トレなどを続けることが出来たし、またその成果として留学中のコミュニケーション能力につながったと思う。また、今回の短期留学によって将来の大学院進学の際のビジョンも明確になった。英語を学ぶということは、言語そのもの学ぶ以上に、英語という言語を通してどのように他の人とコミュニケーションを取るのか考える必要があるということを学んだ。

今回の留学がこれからの進路にどのように活かされますか?

 大学院は海外へ行こうと考えていたので、そのための参考になった。また、アメリカの大学では学生同士の議論が盛んで、授業中も先生への質問がバンバン出ていたので、自分も倣ってわからないところは訊けるくらい勉強したい。せっかく先生がその場にいるので、授業は双方向性が重要だと気づけた。先生の話を一方的に聞くだけなら動画で事足りる。

 また、大学の学生が主体となって運営されている広報組織が素晴らしかったので、自分も九大で似たような活動をしていきたい。そのきっかけとして、大いに参考になった。実現できるかわからないが、できるだけのことはしてみたい。

ビリヤード
ビリヤード

後輩に向けて留学して良かった事、準備しておけば良かった事等について

 留学を通して、日本に居るだけでは想像もつかないような世界にいける。井の中の蛙大海を知らず、という言葉があるが父親がよく自分にこれを言っていた。留学を終えて振り返ると父が何を言わんとしていたのかがわかる気がする。知らない世界に行くだけで、自分の想像力がいかに矮小であるかを突きつけられる。自分の想定外、よくわからない世界へと足を踏み入れるのは非常に大変だが、振り返ってみると充実した時間だったといえる。行くかどうか迷っている、行く選択肢を選べるならば、騙されたと思って是非チャレンジしてみてほしい。プログラムはこれに限らないし、もっと長い期間行けるならそのほうがより多くを学べると思う。