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学生の皆さんへのメッセージ

グローバル ブリッジ オフィスメンバー 

山脇 兆史 講師 (生物科学部門) 

 英語は私にとって最も苦手な科目でした。そのため、学生の間は留学などには全く興味がありませんでした。それなのに今は他人に留学を勧めるのですから、不思議なものです。英語嫌いな私が期せずして留学する羽目になった経緯と、その結果思いがけず得られたものについて、皆さんに伝えることができたらと思います。

 そもそも学校で教わる科目の中で、英語はなんて理不尽な科目なのでしょう。数学や物理の場合、一度理解すれば公式や定理に則って問題を解くことができます。一方、英語には規則があっても例外だらけです。膨大な事例を一つ一つ覚えていかなければなりません。それでも記憶で対処できる読み書きはまだ良い方です。話すには発音の練習が必要で、発音がよくないことが頭で理解できてもすぐに修正することは困難です。聞き取る場合、幾度練習を繰り返しても上達する気配がまったく得られないことさえあります。
 もちろん、語学はそれに適した方法で地道に学習すれば上達します。学生時代の私はそれをわかっていなかっただけでなく、外国語を学習する意義をほとんど見出せていませんでした。しかし留学は、英語に対する意識に大きな変革をもたらしました。その経緯を順に説明していきましょう。

 研究者を目指して大学院に進学した当時、最新の研究成果を知るために英語論文を読むことや、研究成果を英語論文で発表することは当然知っていました。しかし、研究室のセミナーでの発表や国内の学会発表は日本語ですから、英語の重要性から目を背けて生活していてもそれほど困りませんでした。研究室に留学生が来ることがあっても、話す機会を避けていたほどです。
 そんな中で学位を取得し九州大学に職を得たところ、赴任した先は国際交流の盛んな研究室でした。海外からゲストが来るのもこちらが海外の研究室を訪問するのも当たり前だったので、当時のボスであった教授から私自身も留学するよう勧められました。勧められたからという消極的な理由で国際交流の助成金に応募したにも関わらず、その申請は無事に採択されました。私の場合、通常の研究助成金は採択されないことの方が多いなか、その時ばかりはうまくいったことに困惑したのを覚えています。助成金を得たからには行かねばならず、私はイギリスのニューカッスルへと旅立ちました。

アニック城。スコットランドとの境界付近にある。映画ハリーポッターの撮影に使用された。
アニック城。スコットランドとの境界付近にある。映画ハリーポッターの撮影に使用された。

 ニューカッスルはイングランド北部の都市で、さらに北上すればスコットランドとの境界に接する位置にあります。境界付近にはスコットランドとの戦争のために作られた古城が点在し、城観光は私の貴重な息抜きとなりました。地元の人々は親切で、フットボールとビールを愛し、ジョーディーと呼ばれる独特の訛りのある英語を話します。同じイギリス人でもジョーディーが理解できないことがあるらしいのですが、標準的な英語も聞き取れなかった私にとって、たいした違いはありませんでした。
 留学中、私はニューカッスル大学のクレア・リンド博士とピーター・シモンズ博士の指導のもとで研究をすすめました。私の帰国後にクレアとピーターは何度か来日するなど、今でも交流が続いています。しかし、その当時はそんな関係性が築けるとは思ってもいませんでした。実質的に私の世話をしたのは当時ポスドク(博士研究員)であったロジャーで、彼は学位をとったばかりの意気揚々たる好青年でした。私が英語を聞き取れない話せないことで人々を苛立たせることが多い中、彼は最後まで根気よく説明してくれました。そのことには今でも感謝しています。
 また、研究室には中国人のポスドクであったシーゲンがおり、同じ部屋に机を並べていた彼とはよく話をしました。シーゲンは、私が理解できる英語を話すほとんど唯一の人物だったからです。英語圏ではない人との英会話はそれほど難しくない、というのは(言われてみればあたりまえですが)私にとってちょっとした発見でした。シーゲンは、自分がイギリスにきた当初は全く英語を話せなかった、その当時の自分よりもお前は英語が上手だ、と励ましてくれました。そんなことはないだろうと思いつつも、その励ましの気持ちが嬉しかったのでした。
 そうして朝から晩まで英語漬けの日々を送っていると、不思議なことに(他の人の英語は相変わらず理解できないのに)ロジャーの英語だけは段々とわかるようになってきました。単純に練習量の問題なのかもしれませんが、私は気持ちの問題も大きいと考えています。つまり、ロジャーの親切をありがたく思い、研究成果をだしてそれに応えたい、そのために意思疎通を円滑に取りたい、と強く思う気持ちが私の言語能力を向上させたのでしょう。

ダーラム大聖堂。ダーラムは、ニューカッスルより少し南にある歴史の古い街。
ダーラム大聖堂。ダーラムは、ニューカッスルより少し南にある歴史の古い街。

 気持ちが英語力を向上させた別の事例として、イギリスの銀行とのやり取りがあげられます。イギリスの銀行は、日本と比べると信じ難いほどあてになりません。例えば、銀行口座を開設しようと窓口にいくと、担当者は問題なくできると言います。そこで安心して手続きして家に帰ると、数日後に銀行から手紙が届きます。開設したことを知らせる連絡と思って手紙を読むと、残念だがあなたの状況では口座開設できない、と書いてあるのです。わけがわかりません。他にも、定期的に家賃を振り込む手続きをしても、いざ来月になると振り込みが行われないなど、数々のトラブルがありました。
 そんなある日、ついに私は我慢できなくなって銀行への怒りが爆発しました。すると不思議なことに、相手の英語は一語一句完璧に理解でき、自分の口からスラスラと英語が出てくるのです。たとえ外国語であっても強い怒りの感情は言語能力を向上させるという、あらたな発見でした。同時に、今まで英語を苦手としていたのは、他人の考えを理解し自分の考えを他人に伝えたいという気持ちが弱かったからなのだと腑に落ちました。そうして改めて周りにいる語学の得意な人を眺めてみると、総じてお喋り好きな人たちです。語学の才能というものがあるのだとしても、その才能の一部は会話をしたい気持ちの強さで成り立っているのです。

 今でも英語はそれほど得意ではなく、英語でのコミュニケーションがうまく行かない時があります。そんな時は、次のように自分に問いかけることにしています。この件は自分にとって大事なことか、大事ならば気持ちを強く奮い立たせるべきではないか、と。実はこの心掛けは、日本語で話すときにも同様に大切です。留学は、私が人と向き合う姿勢そのものを大きく変えたのでした。
 皆さんが留学することで何を得られるかは、実際のところわかりません。それでも、私にとってのロジャーやシーゲンとの出会いのような貴重な出会いがあり、他人とのコミュニケーションのあり方を見つめ直す重要な機会になると信じています。その点において、留学なんて面倒くさそうと思う人ほど、留学から得られるものは大きいでしょう。

ホリー島。干潮時にのみ、島への通り道が出現する。
ホリー島。干潮時にのみ、島への通り道が出現する。